本日のゲストは、写真家・映画監督の石川梵さんの2回め。
先日まで公開されていた映画「世界でいちばん美しい村」は、入場制限がかかるほどの人気でした。再上映を期待する声も高まっています。
大地震のあとのネパールの村が舞台でした…
この映画ができるきっかけは、東日本大震災でした。貧しい国であるネパールが、日本のために、一生懸命支援をしてくれたことへの恩返しの気持ちがあったのです。
東日本大震災…深く記憶に刻み込まれた、未曾有の大災害。
2011年3月11日。東京の地下鉄で地震に遭遇した石川さんは、帰宅難民となり、その夜は友人宅へ。テレビで気仙沼が燃えてることを知り、たいへんな衝撃を受けました。
避難している場合じゃない、現場に行かなくては!
翌早朝、調布の飛行場で飛行機をチャーターするや、すぐに飛び立ちました。3月12日のことです。
海岸線をずっと上って行くと、上空から見えたのは、おびただしい数の漂流物でした。とんでもないことが起こっている…そう思った時に見えてきたのが、福島の光景でした。まだ、水が引いていません。
さらに北上を続けると、石巻で、学校らしきものが泥の中に埋まっているのが見えました。だれもまだ悲劇に気づいていない、あの大川小学校の姿でした。石川さんはシャッターをきります。
そして気仙沼は…煙の中、水に沈んだ気仙沼がありました。うめき声が聞こえてきそうな光景だったそうです…
燃料を考えながらの空撮。石川さんは東京に戻る途中、福島第一原発が気になり、もう一度、向かいます。
行きは無傷に見えた福島第一が、帰りは煙を噴いていました。無心でシャッターをきりました。
この直後、約50分後に、石川さんが写真に収めた福島第一は爆発したのです。
石川さんが撮影したのは、放射性物質を含んだ煙でした。青い海との対比が、心に突き刺さります。
この写真の存在は、当時はあまり知られていませんでしたが、数年を経て評価され、昨年、数紙の一面トップで大きく掲載されました(インターネットで拝見することができます)。
空撮だけでは終わりません。今度はバイクにまたがり、ふたたび被災地へ向かいました。3月15日。雨が降り出しそうでした。危険を感じ、引き返すことにしました。すると、ポツポツと、ヘルメットに、黒い雨が…。
大丈夫、自分に言い聞かせながら帰りつくと、家の前ですべてを脱ぎ処分し、シャワーを浴びました。そして今度は車で出直したんです。福島県いわき市へ。到着後、放射線量を測るスクリーニング検査の会場を取材しようとした時です。石川さんの持ち物が激しく反応しました。それは、カメラバッグでした。
カメラバッグだけは洗浄できなかったのです。そのカメラバッグから放射性物質が…。幸運なことに、中のカメラはほとんど汚染されていませんでした。カメラを取り出し、取材を続けたそうです。2ヶ月間ずっと車で寝起きし、写真を撮り続けました。
(のちにこの時の放射線量は、問題になるほどではなかったとわかります。当時は情報が錯綜していたのです)
とても濃いお話に圧倒されました。改めて、大災害だったことを身近に感じました。
お話してくださって、ありがとうございました。
石川梵さんのリクエストは今週も、はなおとの「んだなはん」。"そうだよね"という意味の東北の言葉だそうです。
大分県のご出身。高校の先輩でもある石川梵さん。ご出演ありがとうございました。これからのご活躍も楽しみにしています。
またぜひ遊びにいらしてくださいね。
それではまた来週。お相手はミチコでした。
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