本日のゲストは、宮坂恵次さん。
映像制作会社「ムービーマジック」の代表です。
知り合ったのは、お互い20代の頃でしたが、
いまや私は還暦を超し、宮坂さんは50代後半に。
連絡を取り合っていたわけではありませんで、
数年前、なにかの仕事でばったり一緒になって、あらお久しぶり!
昔はなかったスマホというツールを使い、気軽に連絡が取れるよう
すごいなぁ、時代って。
あらためて、
ゲストでお招きするって
不思議な感じで、
最初は、
「いやいや(出ないよ)」だったから、
「まぁそう言わず、番組、見に来る?」
と、軽くトラップを仕掛けまして
こういう仕事をしている人たちは、
器材が並ぶスタジオが大好きなのであります。
スタジオに入るなり、
「さ、(番組に)出ようか」
「えええ?!」
だまし討ちのやばい人みたいじゃない、私(笑)。
宮坂さんは上野丘高校を卒業後、大学には行かず、単身上京しまし
高校の先生からは進学を勧められましたが、ご本人いわく
「こじらせてた」
作家になる、詩人になる。
つもりだったんです。
浮遊する人と言いましょうか、
新宿の片隅で
18歳の彼はそういう道を選んだのでした。
大分からは、寝台特急ふじ。
付き合っていた彼女が駅のホームで見送る。
列車が走り出す彼女が追いかける
そして彼女は、最後に転んだようなのです。
ドラマティックなシーンですよね。
その日から、日記を書き始めた宮坂青年。
つか、飛行機じゃないんだよね。
私の時代でも飛行機でしたが、
私より5~6歳年下だけど、寝台特急を選んだんですね。
東京での暮らしは…やがて食べるものにも困るようになり
帰ってきました、大分へ。
そして彼女と無事に再会。
ふたりで1年ほどかけてお金をためて、
こんどはふたりで上京するんです。
寝台特急ふじで。
つか、飛行機じゃないんだよね。
二度目の上京で東京に降り立った日は、
宮坂さんがハタチになったその日でした。
彼女とは、「野宿ツーリング」と名付けた旅をしました。
お米と小麦粉を持って。
小麦粉を水で溶いてこねて枝にまきつけて焼いてパンにしたり、
小魚を取って拾ってきた空き缶で調理したり。
ワイルド…
どうやらその様子を見ていた川釣りしていた男性が、
不憫に思ったのでしょうか、
鮎を5匹、無言でドサッと持ってきてくれたとか、
逸話満載でございました。
リクエスト曲は、
SION(シオン) 「ありがてぇ」
宮坂恵次さん、ご出演ありがとうございました。
本文中の彼女は、高校2年からのお付き合い、
奥様です。
お仕事も一緒にされていて、共有する時間がとても多い。
こういうご夫婦にお会いすると、
魂のつがいという言葉が浮かんできます。
いつまでもお幸せにね。
あー楽しかった!
つか、どこまでほんとなの?笑
それではまた来週
お相手はミチコでした。
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