1890年(明治23)日本の皇族(小松宮御夫妻)一行がトルコを訪問(1887)した答礼に、オスマン・トルコのカリフは親善使節としてエルトゥールル号(乗組員約650人)を日本に派遣。11か月に及ぶ困難な航海を耐え、明治天皇に謁見後帰国の途についたが、激しい台風のため串本の沖にある大島で座礁し、500人以上が亡くなるという大海難が起こる。大島の漁民たちが台風の中、身を挺して69人を救出し手厚い看護の後、生存者はトルコに帰国することができた。この勇敢な行為にトルコは、深く日本人に感謝し以来日本に対して親近感を持つに至った。
それから95年後の1985年。イラン・イラク戦争の勃発で諸々の条件で日本が救援機をイランに送れず、イランに取り残された200人以上の日本人を、トルコ政府はトルコ人に優先して2機のトルコ航空の飛行機に乗せ、無事にイランより脱出させるという義挙に出て一世紀近く前の恩を返す、という出来事が起こった。
この2つの出来事を時空を超えて結び付け、田中監督が渾身の力を込めて描いた、トルコとの合作作品である。
作品の内容は、タイトルにあるように1890年の和歌山県串本沖にある大島での、エルトゥールル号の座礁遭難に、大島の貧しい漁村の住民たちが激しい嵐の中で決死の覚悟で異国の乗組員を救助し看護する姿を中心に描きながら、エルトゥールル号の乗員がイスタンブールから日本に向けての航海の困難の旅の有様、葛藤などを丁寧に描写していく。
そして救助された後の日本人とトルコ人の文化の違いを越えての心の交流を描く姿を、作品の三分の二近くの長さで描写し、いわば二部構成の後半であるイラン・イラク戦争でイランに取り残された日本人が、トルコの救援機に救われるまでを、イランの日本人学校の女性教師(忽那汐里が、大島でも娘と二役)と、トルコ外務省の職員(ケナン・エジュが、大島でのトルコ軍人での二役)が偶然知り合い、トルコの救援に共同して尽力する姿を中心に描くものである。
力作である事を評価するが、後半のトルコの救援での描写は、時間の配分の関係だと思うが前半に比べて少し単調な流れになっていたのは否めない。しかし、それを差し引いても、人が人を想う心の大切さはテーマとして十分に伝わる感動する内容であった!
ぼくのチケット代は、2,100円出してもいい作品でした。
星印は、3つ半差し上げます。
“映画評論家ではない”衛藤賢史先生が「観客目線でこの映画をどう見たか?」をお話するコーナーです。
星:観客目線で「映画の質」を5点満点で評価
チケット代:観客目線で「エンターテインメント性、楽しめるか?」を評価(1,800円を基準に500円から3,000円)
【衛藤賢史プロフィール】
えとうけんし・1941年生まれ・杵築市出身
別府大学名誉教授
専門:芸術学(映像・演劇)映画史
好きな作家:司馬遼太郎/田中芳樹
趣味:読書/麻雀/スポーツ鑑賞/運動
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