広島を舞台にした「父と暮せば」後、長崎を舞台にした「母と暮せば」を企画しながら亡くなった井上やすしの志を受けて、山田洋次が井上やすしと戦争で散った幾百万の人々への鎮魂歌として作られた作品である。
昭和20年8月9日午前11時2分、終戦を迎えるわずか6日前、長崎に原爆(プルトニウム爆弾)が投下された。爆心地に近い長崎医専で講義を受けていた福原浩二や大勢の医学生の躰は一瞬の内に霧散した。
その3年後の昭和23年、浩二の母伸子は助産婦の仕事をしながら一人で暮らしている。夫を早くに結核で亡くし、長男はビルマで戦死し、たったひとり残った浩二を原爆で遺骨すらも残らない状態で喪った伸子の心は空っぽになっていた。わずかな心の支えは浩二の婚約者であった佐多町子が小学校の先生となって、頻繁に訪ねて来てくれることだった。その年の8月9日、伸子とのところに町子が訪ねて来て、連れ立って丘の上にある十字架の墓石にお参りに行き黙とうをささげる。一瞬にして消えた浩二の躰に、もしやと淡い期待をかけた3年間。さすがに諦めの気持ちを感じる伸子に町子は浩二の好物だった、この時期貴重な生卵を持ってきてくれる。その夜、それを玉子焼きにして影膳に備えた伸子の前に生前の姿と変わらぬ浩二が現れる。伸子が浩二の死を諦めきれないため「なかなか出てこられんとさ」と生前同様明るい口調で話す浩二に伸子も微笑む。それからも頻繁に姿を見せる闊達な浩二だが、涙ぐむ話になると姿が消える状態に気づいた伸子は精一杯明るく振る舞うようにするのだった。しかし、戦後の暮らしは日本中逼迫しており、上海帰りのおじちゃんの闇市の食料品でカツカツの生存体力を維持していた伸子の躰は急速に疲弊していたのだ。そんな伸子の唯一の頼りは浩二が現れ母子の会話にふけることだけ。ふたりは町子の将来について話し始める。生者と死者の会話は町子に関して食い違う。そして決心をする伸子と浩二の心がひとつになったとき・・・。
これだけ悲しい話を、極力泣かせまいとする熟練の演出の冴えは、山田監督ならではの腕である。二宮和也と黒木華の若手ながら味のある演技にはさまれた吉永さゆりの母の温かみがよきトリオとなり、母子の海よりも深い情愛がベターな話でなく物語られる作品と化していた。それあってこそ、戦争への深い反省が表現された内容となった!
ぼくのチケット代は2,200円出してもいい作品でした。
星印は4つ差し上げます。
“映画評論家ではない”衛藤賢史先生が「観客目線でこの映画をどう見たか?」をお話するコーナーです。
星:観客目線で「映画の質」を5点満点で評価
チケット代:観客目線で「エンターテインメント性、楽しめるか?」を評価(1,800円を基準に500円から3,000円)
【衛藤賢史プロフィール】
えとうけんし・1941年生まれ・杵築市出身
別府大学名誉教授
専門:芸術学(映像・演劇)映画史
好きな作家:司馬遼太郎/田中芳樹
趣味:読書/麻雀/スポーツ鑑賞/運動
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