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   2016/01/05

衛藤賢史のシネマ教室

「アメリ」の製作者クローディ・オサールが参画した日仏合作のこの作品は、1920年代のエコール・ド・パリで燦然と輝いた藤田嗣治の若き日と、一転して二次大戦中に日本で絵画活動をする中年の藤田嗣治の精神的苦闘を描きながら、どちら側でも異邦人としての揺れる心の内側を、70才になった名匠・小栗康平が静謐な描写で演出した作品である。
1920年代。<フーフー>と愛称されたフジタは、日本画の技術を導入した繊細な描線輪郭と乳白色の肌表現で、異国からパリに流れ込んだ才能ある画家たちによるエコール・ド・パリと称されたグループのトップに立っていた。
毎日をキスリング、ドンゲン、スーチンなどの画家仲間たちや、有名モデルのキキ、ユキたちとの乱痴気騒ぎの先頭に立ち、お調子者<フーフー>と囃し立てられながら、こと絵画の制作に関しては冷静沈着に新しい技法を追求しパリっ子たちの賞賛を一身に集めていた。その乳白色の肌の裸婦像を囲む面相筆によるくっきりとした輪郭線はフジタ以外の誰も真似られない独創的手法であり、パリをはじめとする絵画の好事家たちの垂涎の的となり高値で取引きされていたのだ。そのお金をフジタは惜しげもなく仲間たちやモデルのために使うのでエコール・ド・パリの仲間たちから愛されてもいた。
しかし、1940年代、二次大戦の勃発により愛国者としての側面(藤田の父は軍医総監であった)を持つフジタは、一大決心をして日本のために役に立とうと帰国する。
しかし、20年以上日本を離れていたフジタにとって、ある意味近代市民制度から遅れていた。日本の制度・精神はヨーロッパに親しんだフジタにとって精神的異邦人となる。
五番目の妻・君代と日本の田舎に住み御国のためにと戦争画を描く毎日は、何時の間にか空虚な心と化す。そしてフジタでなく藤田嗣治として描いた『アッツ島の玉砕』は軍部や大衆の好評を呼ぶも、その真意はわかってくれない。
戦後、藤田はこの絵画などで戦争協力人として弾劾され、パリに戻りフランス国籍を取得し、クリスチャンの洗礼を受け自身が立てた教会の壁画の制作に没頭することになるのだった・・・。
前半のパリ時代の若き日の狂乱のパリ生活と、中年での日本の生活を、いわば動と静とに仕切り、同じ作品とは見紛うばかりの描写によって、小栗監督はフジタと藤田の精神を描き込もうと試みる。その描写を是とするか否とするかによって、評価が分かれそうである。しかし、いかにも小栗監督らしい骨太な構成の作品となっている!
ぼくのチケット代は、2,200出してもいい作品でした。
星印は、3つ半差し上げます。

5点満点中3.5点 2200円

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