自分の人生とはまったく接点のない他人を、毎日のようにただひたすら尾行し、その生活を克明に記録する<哲学的尾行>を、大学院の博士論文のテーマとした女子学生の日常を描くこの作品は、岸善幸監督のドキュメント・タッチの演出によって、一種異様な緊迫感を我々観客に与え続けながら、人間誰しもが事の大小にかかわらず心に内包する精神の二重性への思いを突きつけられるであろう作品となっている。
原作はフランスのソフィ・カルの<文学的・哲学的尾行>に示唆を受けた小池真理子の小説「二重生活」であり、岸監督は小池氏から了承を得て映像にマッチした内容に大胆に改変している。
大学院の哲学科の女子学生・珠は、指導教授の篠原から博士論文のテーマとして、無作為で選んだひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する<哲学的尾行>を勧められる。躊躇した珠だが、書店で偶然見かけた珠の住むマンションの前にある一軒家で妻と娘と住む男を尾行し、男が別の女性と親密な様子を目撃したことによって、篠原教授のテーマを受け入れる。篠原はその際「対象と接触してはいけない。接触すれば尾行ではなくなる」というルールを告げる。
他人を尾行し、その生活・行動を記録しながら哲学的構想をするというテーマに、少し後ろ暗い感触がある珠は、同棲しているゲーム・デザイナーである琢也に告げずに、その石坂という本の編集者の毎日を尾行しはじめる。そして、次第に他人の私生活を覗き込むという暗い行為に、本来の目的である論文作成をも忘れさせる、歪んだ愉悦な行動に心が浸食され、琢也との平穏な共同生活をも放棄させるほどのめり込んでいく珠。
実は過去に珠も精神の二重生活があり、それが珠をして哲学を専攻させる原因でもあったのだ。一方、篠原教授も密かに謎の<喪の準備>をはじめていた…。
珠を演じる門脇麦のオドオドした尾行行動にヒヤヒヤしながら見ているうちに、次第に対象者にのめり込む麦の大胆な行動の果てに広がる、人間が誰しも抱える心の二重性の内面を覗き込むことになるこの作品は、満たされることの心の寒々とした哀しみの精神風景を活写していく。人間が生きる目的とは何か?という概念をそれぞれの立ち位置から考え込まさせる作品となっているのだ。
ぼくのチケット代は2,200円出してもいい作品でした。
星印は、3つ半差し上げます。
“映画評論家ではない”衛藤賢史先生が「観客目線でこの映画をどう見たか?」をお話するコーナーです。
星:観客目線で「映画の質」を5点満点で評価
チケット代:観客目線で「エンターテインメント性、楽しめるか?」を評価(1,800円を基準に500円から3,000円)
【衛藤賢史プロフィール】
えとうけんし・1941年生まれ・杵築市出身
別府大学名誉教授
専門:芸術学(映像・演劇)映画史
好きな作家:司馬遼太郎/田中芳樹
趣味:読書/麻雀/スポーツ鑑賞/運動
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