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エゴン・シーレ 死と乙女

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   2017/03/21

衛藤賢史のシネマ教室

28歳で早逝した異端の天才画家エゴン・シーレは、現在はグスタフ・クリムトと共に20世紀初頭のウィーン画壇の双璧として、その作品1点に4千万ドルの価格がつくオーストリアを代表する画家としての評価を持つ。
だが、シーレは存命中その奔放な行動と挑発的な画風で世間の人々の眉をひそめさせるスキャンダラスな存在であった。この作品は、あの型破りなクリムトでさえシーレに忠告するほどの激情的な生き方を、シーレの代表的なモデル三人を交錯させながら描いたものである。
第一次世界大戦が終結する1918年、エゴン・シーレは妻のエディットと共にスペイン風邪にかかり瀕死の病床にいた。シーレの妹ゲルティは兄夫婦を献身的に看病しながら、兄との生活を回想していた。1910年、ウィーンの名門美術アカデミーを中退していたシーレは、当時16歳だったゲルティをモデルにした裸体画で頭角を現していた。父の死で無一文となったシーレとゲルティは叔父の後見で生活していたのだ。兄を尊敬するゲルティは喜んで裸体画のモデルを努めていた。だがシーレは場末の演芸場で褐色の肌をもつモアに魅了され裸体画のモデルにする。そのためゲルティとモアの間に確執がおこり、ゲルティは画仲間のアントンの元に疾る。ゲルティの後見人であるシーレは激怒しふたりの結婚を認めない仕打ちをする。その後、敬愛するクリムトから赤毛のモデルのヴァリを紹介されたシーレは、彼女の聡明な考え、モデルとしての類まれな資質を溺愛し同棲生活を送りながら、生涯の画のミューズとして多くの名画を発表していく。シーレの軽はずみな行動が幼児性愛者として疑われ、危うく刑務所送りになりかけた出来事もヴァリの献身的行動で救われる。ヴァリとシーレの信頼関係は盤石となっていき、シーレは時代の寵児として画壇をかけ上りはじめたが、1914年シーレが24歳の時、一次大戦が勃発する。画を描くことが出来るためにシーレは良家の娘エディットと結婚しヴァリと別れるのだが…。
名作『死と乙女』の誕生秘話をクライマックスにしながら、まだ古い考えが濃厚に残る身分制度の中に生きるエゴン・シーレの激情的生き方を描いたこの作品は、画のためにだけ生きるエゴイスティックなシーレの行動と、それを支えた三人のモデルの女性との対比により、時代の持つ思想に翻弄される女性の哀れさが浮かび出る内容でもあり、ひとりの天才がかけ登る坂に、無名で支えた女性の鎮魂の作品ともなっているのだ。
ぼくのチケット代は、2,200円出してもいい作品でした。
星印は、3ツ半差し上げます。

5点満点中3.5点 2200円

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