本日のゲストは、
佐藤達哉さんと
大野満さん。
かんぱ~い!
おいおいおい、笑
私たちは、さかのぼること40年前に知り合い、
「アッシュ」というバンドの初期を彩ったメンバー。
(中期も後期もとりたててなかったことには触れずに)
アッシュは当初、宮田耕希さん、大野満さん(以下まんちゃん)、
本来の表記は、
「H」
"H"はフランス語でアッシュと発音し、
Hは3つの線でできている、からの命名でした。
名付け親がミチコです、えへ。
ここに佐藤達哉さん(以下たっちゃん)が入り4人になりましたが
アッシュの名前はそのまま継承されました。
アッシュはシングルを3枚リリースしています。
オープニングにおかけしたのは、
アッシュのデビューシングル、
「夢のウェディングベル」←みんなのうたに採用
2曲め、
3曲めは、
まんずラジオでかかったことはないだろう!というB面
「とびきりレモントリップ」と、
「プリーズ・ハニー」
でした。
デビューが1986年か87年頃だと思うのですが、
所属レコード会社は、
昨今、山下達郎さんで話題になった、今はなきRCA。
アッシュには、当時デビューアルバムをリリースするという話もあ
その理由は・・・
たっちゃん
「レコード会社がなくなるから、アルバムが出せなくなった」
まんちゃん
「いや俺は、売れないアルバムは作らないと言われたよ」
どっちの記憶が正解だ!笑
アッシュのメンバーの演奏は、技術的にも優れていましたが、
ルックスが良かったものですから、
アイドル路線の戦略で進められました。
ね、かわいいでしょ。
アイドルって、なかなか自分たちで演奏させてもらえない。
録音は、スタジオミュージシャン。
そういう時代でしたね。
「自分たちで演奏したのはB面だけだった」
「あれ?A面はしてなかったっけ?」
「何パターンかあったから、どれやったかな」
人の記憶はアテになりません、笑。
だけど、
あの頃がめちゃめちゃ面白くて
記憶に誤差があっても、どれも素晴らしい思い出で、
その時間を共有できたこと…
ミチコにとっては宝物なのです。
いまどきの言葉で言うなら、
感謝しかない。
おふたかた、スタジオに来てくださってありがとう!
この日は、たっちゃんがZIGGYのライブのサポートで大分入り
まんちゃんも駆け付けてくれての収録となりました。
数年前から大分市に戻っているギター&ヴォーカルの宮田耕希くん
浜田大作さんは、神奈川県在住で無理だろうとお声はかけず。
アッシュのメンバーが揃うことができたら、本当に夢のようだな。
いつか、やりたいね!
佐藤達哉さん、大野満さん、ご出演ありがとうございました。
また会いましょう。
そして1枚目の乾杯の写真に戻るのであります。
幸せのひとときー
それではまた来週、お相手はミチコでした。
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