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峠 最後のサムライ

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   2022/06/21

衛藤賢史のシネマ教室

幕末、官軍に与せず江戸期の≪武士道倫理≫を貫き、維新史上最も壮絶な戦いといわれた<北陸戦争>を展開した、越後長岡藩の家老である英傑・河合継之助を描いた、司馬遼太郎の『峠』を小泉堯史監督が映画化した作品です。

慶応3年(1867)、15代将軍・慶喜(東出昌大)は大政奉還を決意した。各諸藩は東軍≪幕府側≫と西軍≪朝廷側≫に二分していく事態に陥っていた。越後の小藩≪七万四千石≫長岡藩の家老・河合継之助(役所広司)は、近代的思考のどちらにも属さないスイスのような武装中立を目指していた。その立場を卑怯と見た若手の藩士たちは、妻・おすが(松たか子)を伴い芸者遊びをした帰りの継之助を襲うが、継之助の中立の固い決意の吐露を聞き私淑していく。だが、長岡藩の立場を理解してもらおうと、大軍で待機する西軍に乗り込み談判するが、継之助を嘲り無礼な態度を取りつづける西軍将により談判は決裂する。中立の立場を堅持できないと悟った継之助は、形勢が圧倒的に優勢な西軍に加わることを良しとせず、徳川譜代の大名としての≪サムライの大義≫を貫くために、西軍と真っ向から戦いを挑む決断をするのだった・・・。

上下2巻におよぶ長編小説『峠』を、2時間以内に収める映画にするのは、小説の内容をかなりの部分で大胆に省略する作業が必須条件であることは理解しながら、それではどの部分をこの映画の【核】として据えてきたのか期待をもって見させてもらったのだが、苛烈な<北陸戦争>の前後を作品の【核】にした内容となっていたのです。映画のスケール感を表現するための大掛かりな戦闘シーンを描写する演出意図は、それはそれで理解できるのですが、そのために全体的に登場人物の性格描写が希薄となり、主人公の継之助すらも行動を起こす原理となる≪義における無私のサムライの精神美の在り方≫を示す大事な場面でも、ただ大声で喚くだけの見る者の心に届かない薄っぺらい描写となり果て、それ故に中心核である継之助の行動心理状態が分かりにくくなり、まとまりの悪い内容を羅列するだけの作品と化してしまっていたのです。小泉堯史監督と司馬遼太郎の作品を愛するファンを自負する一員としてつらい作品でした。

ぼくのチケット代は、1800円と思う作品でした。

星印は、2ッさしあげます。

5点満点中2点 1800円

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