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この国の空

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   2015/08/11

衛藤賢史のシネマ教室

敗戦間際の昭和20年の東京を舞台にしたこの作品は、19歳という女性にとって人生の最も瑞々しい時期を、常に<死>と隣り合わせに生活しながら、その若い心と肉体が己れの生の証しとしての<愛>を求めるひとりの乙女の姿を、丁寧な心理描写と視覚的描写を併用しながら迫っていく秀作となっている。
太平洋戦争も断末魔の昭和20年の東京・杉並。米軍のB29爆撃機による空襲により東京の町の各所が破壊されている時期、19歳の里子は、辛くも空襲の被害から免れていた杉並の役所に勤務していた。いつ空襲の被害に会うかわからない状況の下、まともな食べ物も口にできない耐乏生活をしながら母とふたりで暮らしている。若者や壮年の男子は戦争に取られ、子供たちは地方に疎開し町中は老人と女性たちだけ。そんな絶望的生活の中、隣の家に住む銀行支店長の市毛は38歳ながら虚弱ということで兵役を免れていた。妻子を疎開させていた市毛は一人暮らし。灯火管制の家で時折バイオリンの音を響かせている市毛の知的態度と風貌に、淡いあこがれを感じていた里子は、控えめな態度で銀行の仕事で留守の多い彼の世話をするのが唯一の楽しみだった。そんな中、母の姉が横浜の自宅を空襲で焼き出され、里子の家に避難してきた。夫と子供を失い行く宛もない叔母との三人生活は、東京への疎開が許されない条例で叔母には食料の割り当てがなく、里子の家はギリギリ以下の生活を強いられる。そのため家庭内はギスギスしてくる。そんな鬱憤が市毛への想いに傾斜する里子。繰り返される空襲警報と家庭のゴタゴタで身も心も疲れた、終戦も間際のある日。里子は市毛の世話で米が手に入ることになり一緒に出かける。夏の暑い中、とある神社の境内で休憩し、おにぎりを食べる里子を見ながら「女の人は、何をしていても美しく見える時期があるんですね」と言う
市毛の言葉に、華の盛りを戦争に奪われていた里子は耐え切れずに市毛の腕に抱かれたてしまう。そしてその夜…。
里子を演じる二階堂ふみの、乙女の淡いあこがれから[女]へと変化していく様での眼技や物腰の渾身の演技が、この作品を支えたといっても過言でない素晴らしい出来を見せてくれた。それによってラストの茂木のり子『わたしが一番きれいだったとき』の詩の淡々とした口調の朗読が、胸を打つ悲痛さとなって心に沈殿することになるのだ!
反戦を声高い叫ぶ作品よりも、かえって反戦への思いを濃厚に残す作品となっている。荒井監督による脚本での、美しい日本語の台詞の数々。そして里子が市毛が男として感じていく過程での微妙な言葉の変質に日本的色気を感じさせる手腕は見事であった!
ぼくのチケット代は、2,400円出してもいい作品でした。
星印は、5つ差し上げます。

5点満点中5点 2400円

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