OBS大分放送
衛藤賢史のシネマ教室

沈黙―サイレンス―

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   2017/01/24

1991年、ジョン・キャロル大学の名誉博士号を受けるため渡米した遠藤周作に、マーティン・スコセッシはNYで会い、この小説の映画化の決意を伝えてから25年!資金難などの幾多の苦節を乗り越え遂に完成した執念の作品である。
舞台は1640年、キリスト教徒への弾圧が激しかった江戸時代の初期。マカオで著名なイエズス会の宣教師フェレイラ神父が日本で棄教したという知らせが届いた。フェレイラの弟子であったロドリゴ神父とガルべ神父は、その事を確かめるためにマカオに暮らしている棄教したキチジローという若者の手引きで長崎に密航する。
そこで、弾圧から身を潜めながら信仰を堅持していた日本人モキチやイチゾウらの村人に出会い布教活動をする中、幕府の役人に知られ村人たちは捕まってしまう。だがモキチらはロドリゴとガルベを匿い信仰を捨てなかったためむごい刑罰で処刑されてしまう。しかしキチジローのみは<踏み絵>を承諾し解放される。その凄まじい弾圧に恐れながらもロドリゴとガルベは五島と平戸に別れ布教しようと図る。だが五島でキチジローの裏切りによりロドリゴは捕まってしまう。長崎奉行所に隠れキリシタンの村人と共に投獄されたロドリゴの所にふたたびキチジローが現れ告解の許しを乞う。ロドリゴはキチジローに告解を許すが、ユダを思わせるキチジローに侮蔑の気持ちを持つ。そんなロドリゴに奉行の井上播磨守と通辞が訪れ棄教を迫るが、ロドリゴは頑なに拒否する。そんなロドリゴの前に棄教した師フェレイラが面会を求めてくる。そして淡々と自分の目の前で信徒の村人たちが残虐な方法で処刑されていく光景を見らされる体験を話す。弱き人々への救済を祈るフェレイラに対しての<神の沈黙>がつづく絶望。そして同じ方法がロドリゴの目の前でも行われる日がくる。ロドリゴもまた<神の沈黙>への絶望に襲われる。
そして追い詰められたロドリゴの決断とは…。
弱き者に寄り添う主・イエスへの堅い信仰の鎧をまとったロドリゴが、極東の果て日本で見た弾圧により己れが棄教することにより、弱き人を救うために己れの外面的信仰を捨てる過程と同時に堅い精神内の信仰との葛藤。遠藤文学の神髄を見事に表現したスコセッシ監督のリアリズムあふれる演出により、「踏むがいい」とロドリゴの心にやさしく語りかける<沈黙の内の声>への熱い思いが伝わる渾身の作品となっているのだ!
ぼくのチケット代は、2,300円出してもいい作品でした。
星印は、4ツ半差し上げます。でも見るのに気合体力が必要です!

5点満点中4.5点 2300円

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