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マン・オブ・スティール

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   2013/09/03

衛藤賢史のシネマ教室

CG技術の進化は、アメリカン・コミックのヒーローたちの活躍を変質させてしまった。この作品も「スーパーマン」の話だが、滅亡するクリプトン星から生まれたばかりの赤ん坊のまま、地球に贈られたカル=エルことクラーク・ケントが人類にない特異に視聴覚能力と強大なパワーに悩み苦しみながら、その能力・パワーに偏見を持たず育ててきた地球の父・ジョナサン・ケントと、クリプトン星のジョン=エル(意識体としての存在)に薫陶され、自己認識を遂げていこうとする内面の成長の物語であり、従前の穏やかな新聞記者クラーク・ケントが地球の危機的事件に遭遇するとスーパーマンに変身して悪人どもをやっつけるという、定番の内容を封印し、激しく自己存在に苦しむ若者として描きながら、母星クリプトンの地球侵略に対して地球の人類のために立ち向かう姿を、現時点で開発されているCG技術のすべてを駆使していく圧倒的なスピード感とリアル感を持つ戦闘シーンをダイナミックな迫力で描いていくのだ。
特にCG技術を駆使したマッハを超えるスピード感のスクリーン体験の凄さは、おそらくCG史上特筆されるであろうと思われる出来となっている。ただ、現在の観客は、もうCGの高い技術に慣れてしまっているので、それだけを売りに出来なくなってしまっている。そのため、CG技術の凄さだけでは観客を映画館に呼び込むことが出来ないのが分かってきているんので、映画というドラマの核である人間描写も併せて密度の濃いものにしなければならない。そこに、アメリカンコミックの主人公の変質が重要な要素となっているのだ。「バットマン」「スパイダー・マン」の主人公のキャラクターの変質がそれであり、この「スーパーマン」も当然そこに焦点を当ててきている。
「己の能力に悩む」というのがキー・ポイントであり、それをどう表現するか、という演出力が大事になっている。
そして、この作品の演出は、主人公の悩みをより深く描こうとした結果、ジグソー・パズルのように断片的にシーンの時系列を入れ替えたことにごらく映画として見た一般観客を戸惑わせることになってしまった。この複雑な仕掛けを高く評価する人もいると考えるが、大部分の観客はあっけにとられてしまう内容となっているのは否めない。
平凡な作品は作らない!という意欲は時としては大部分の観客を失うというリスクもあることを考えるべきだ。それが娯楽作品である限りは…。
ぼくのチケット代は、2,000円出したい作品となっています。
星印は3つ差し上げます。

5点満点中3点 2000円

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