敢えて空白を残す画面の作りは日本がの空間構成そのものであり、淡い色調に彩られた色彩感の雅さは日本の古典中の古典と言われる、この昔話にふさわしい物となった。
背景とセル画を別々にして描くセルアニメーションの手法を使用せず、背景と人物を一体化して描くという実験的手法を採用し、スケッチのような描線で描かれていく人物たちの表情や動作は、絵画が動き出したような幻想的な印象を観客たちに与えてくれ、かぐや姫の物語にぴったりの作品になっている。
特に予告編でも出てくる、かぐや姫の怒りが頂点に達し十二単衣を次々に脱ぎ捨てながら、家から都大路を疾走しながら抜けていくシーンでの、かぐや姫と背景の描線がまるで画面がぶれにぶれたような荒々しい描写などは、この手法によりかぐや姫の人間的な感情を無視された怒りと悲しみがふつふつと表現され白眉のシーンとなっている。
月に住む天上人の、永遠の生命と静謐な生活から地上に堕とされたかぐや姫のたぎるような熱情を表現された名シーンであり、この手法でのクロッキー風の描線が見事に生きたものとなっているのだ。
かぐや姫のお話は、竹から生まれた小さな姫が竹取りの翁夫婦に育てられ、あっという間に成長し、輝くような美しいかぐや姫となり、朝廷の貴族たちから嫁へと所望されるも、八月の十五夜の満月の日に月へと帰っていった、という物語として日本人によく知られているが、成長過程が実はすっぽりと抜けているのだ。高畑監督はその空白を丁寧に埋めながら、すべての地上世界の草木・生物たちは可死の定めを負いながら、それ故に今生きているというよろこびを実感しながら躍動的な生命力を爆発させているのだと、かぐや姫の早い成長の中に凝縮させながら描くことによって、限りある生命ゆえの生命への讃歌を、永遠の生命の中で暮らす天上界の住人の対比として謡うのである。
豊かな[生]とは何をもっていうのか、無感動な永遠の生命か、それとも[愛]を享受しながら生きる限りある生命の世界なのか?高畑監督はこの作品でわれわれに問い掛けているのだ。
本当に美しいかぐや姫でした!
またひとつ、ジブリは世界に誇れる新しいアニメーションを生み出した。
ぼくのチケット代は、2,500円出してもいいと思う作品でした。
星印は、5つ差し上げます。
“映画評論家ではない”衛藤賢史先生が「観客目線でこの映画をどう見たか?」をお話するコーナーです。
星:観客目線で「映画の質」を5点満点で評価
チケット代:観客目線で「エンターテインメント性、楽しめるか?」を評価(1,800円を基準に500円から3,000円)
【衛藤賢史プロフィール】
えとうけんし・1941年生まれ・杵築市出身
別府大学名誉教授
専門:芸術学(映像・演劇)映画史
好きな作家:司馬遼太郎/田中芳樹
趣味:読書/麻雀/スポーツ鑑賞/運動
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