この作品は、ナンセンスなドタバタ喜劇の最高傑作のひとつとして記憶される映画となるだろう。そして、力でもって相手を制圧するのでなく<慈悲>の心で融しようと孤軍奮闘する玄奘(後の三蔵法師)の行動にイライラ、ハラハラしながらラストではそのやさしさに涙し深い共感を覚えるであろう作品となっているのだ。
川辺の貧しい村に半魚半獣の妖怪が出現し、村人たちを襲いはじめる。そこにたまたま来合わせた妖怪ハンターの玄奘が村人たちと協力して陸に上げると妖怪は沙悟浄という人間の姿となるが、玄奘の「わらべ唄三百首」という仏の慈悲心の説教唄では効果がなくオタオタしている時に、突然女性妖怪ハンターの段が現れ暴力的手法で退治してしまう。そんな玄奘に師匠は「妖怪になるのは、心が魔に侵された者であり、仏教はその魔を追い払い、善のみを残すやり方であるので玄奘は誤ってないのだが、お前にはほんの少し何かが足りなかっただけだ」と言う。そして今度は山奥の料理店で玄奘は妖怪たちに襲われるが、またもや段が現れ襲いかかる妖怪たちを無限に飛び出す腕輪でもって片っ端からやっつけ首領の美青年に化けた豚の妖怪・猪八戒と対決するが、巨大な猪に変身され逃してしまう。師匠に「あの妖怪を退治できるのは五指山に閉じ込められている妖怪の大魔王・孫悟空だけである」と指示され、はるか遠くの五指山へと向かう。その途中、またもや現れた段は玄奘に「無私の心で妖怪から人間を救おうとするお前の純な心に惚れちゃった」と告白するが無視されてしまう。首尾よく五指山で孫悟空と会った玄奘だが500年も仏によって閉じ込められていたので外見は青白く頭のハゲたヨボヨボの悟空の姿にガッカリしてしまう。
さあ、玄奘はこんな孫悟空と共に猪八戒を退治できるのか・・・?
ぼくらが知っている『西遊記』とは全然違う展開に「エッエッ?」と戸惑う流れに唖然としながら、しかしチャウ・シンチー監督の天才的シュールなギャグの連発また連発に大笑いさせられ、その奇抜なストーリー構成にいつしかのめり込んでいる内に、ただ笑わせるだけでない、仏教という哲学的体系を持つ宗教の<慈悲心>の精神に触れ得る、暴力という制圧的力へのアンチテーゼなテーマに共感していく作品となっているのだ。
師匠が玄奘に言う「お前には、ほんの少し何かが足りない」という言葉の意味がラストにぼくらにも理解できるストーリー構成の上手さに脱帽した作品でもある。
ぼくのチケット代は、2,400円出してもいい作品でした。
星印は、4つ半差し上げます。
“映画評論家ではない”衛藤賢史先生が「観客目線でこの映画をどう見たか?」をお話するコーナーです。
星:観客目線で「映画の質」を5点満点で評価
チケット代:観客目線で「エンターテインメント性、楽しめるか?」を評価(1,800円を基準に500円から3,000円)
【衛藤賢史プロフィール】
えとうけんし・1941年生まれ・杵築市出身
別府大学名誉教授
専門:芸術学(映像・演劇)映画史
好きな作家:司馬遼太郎/田中芳樹
趣味:読書/麻雀/スポーツ鑑賞/運動
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